戒壇院 福岡県 -太宰府
奈良時代の半ばの天平宝字5年(761年)に聖武天皇の勅願により観世音寺の境内の西南部の一角に設置された戒壇院をその起源とします。開山は唐僧鑑真。渡航後の鑑真が初の授戒を行った場であるとされ、宗派を超えて僧が集うという性質から俗に八宗兼学寺とも呼ばれました。 Wikipediaより
by TGokuraku-TOMBO | 2009-02-26 00:02 | Comments(8)
この地は平安の時代から時が止まったような、感じがしますね。
ひとつ、ひとつのものが静かに時を経て風格をまして、、。
灯籠の石もなかなかの風格で重みありますね。
長い間、風雨にさらされても立派に残っていて凄いですねー^^
当時の建築方法は、今と比べるとかなり大変だと思いますが
日本建築は本当に素晴らしい~☆
建築のための知恵がシッカリとあるから今日まで現存しているのでしょう♪
こんばんは。
大宰府天満宮はいつも人でいっぱいですが、こちらは同じ太宰府にありながら、
閑散としています。それがいいので見に行きましたが、穴場ですね。
灯篭も古めかしい様式ですね。
きっと、奈良時代もこのままだったのでしょう?
こんばんは。
鑑真和上は何度も渡日に失敗して、ついに眼が不自由になってからの
来日で、あの時代では途方もない海外からの招聘で、
驚いてしまいます。スケールの大きい人物がいたものです!
こんばんは。
この戒壇院もおそらく、台風や火災で壊れ再建されてると思います。
当時は仏教大学みたいなもので相当権力もあって、政治的な存在も
大きかったと想像しますが、今はひっそりと往時の面影をたたえています。
こんばんは。
やっぱり、東大寺とかと関係が深かったみたいですね?
鑑真和上も日本に着いてすぐに奈良に行ったようですし、
今まで、その辺の繋がりを知らなかったので、少しは解った気がします。
地元の方もあまり行かないお寺のようで、ゆっくり味わえた旧蹟でした。