平泉 - 達谷窟(たっこくのいわや)
5月16日(金曜日)
写真の窟(いわや)に塞を構え、平泉周辺の良民に悪行の限りをつくしていた蝦夷の豪族達を延暦20年(801年)桓武天皇の命により征夷大将軍坂上田村麿が征伐しました。将軍は戦勝のは毘沙門天のご加護と感じ、お礼に京の清水の舞台を模ねて、窟毘沙門堂を作りました。スケールは小さいですが、やはり似ています。
驚くのはこの時代に京から征伐軍を率いて遠路みちのくまで戦に行ったことです。それと京には清水の舞台がすでに在ったことです。紀元前の古い文明をみれば大した事は無いのかもしれませんが、日本では歴史に残る出来事なんだと納得しました。
毘沙門堂横に高さ33mの岸壁に刻まれた磨崖佛(約16m)があります。これは前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養する為に彫られたと伝えられています。
昔は岩大佛、今は岩面大佛と呼ばれています。
by TGokuraku-TOMBO | 2008-05-16 00:17 | Comments(2)
物凄い雷雨にあってしまって叶いませんでした。
こうやってお写真拝見するとやっぱ無理してでも
行けば良かったなぁ〜と思います。