今も残る武家屋敷の面影 米沢市・芳泉町
大きい石で敷地を囲み、垣根にはうこぎを植え込んでいます。
うこぎの針が敵の侵入を少しでも防ぐ役目をしているのと、新芽が食用に使えるそうです。
1601年当時から明治維新までは、下級武士の敷地が近くの川にまであり、
洪水の恐れがあるときは、素早く防災の対処が出来るように組織化されていたそうです。
直江兼続の石堤との連動は、秀吉や家康が一目置いたくらいの、兼続の人物所以たるところです。
by TGokuraku-TOMBO | 2011-09-07 00:09 | Comments(0)